1 「文章入門」に入る前に
悪文とは
どのような文章を指すのか
悪文とは、わかりにくい文章である。一読しても、再読、三読しても、その意味するところが分からないのは悪文と言ってよい。分かったようで分からない文章が悪文である。文章表現の根本は、何といっても意味が読み手に通じるかどうかにかかる。
文章を分かりにくくするのは、その文章の構造にある。特に主語が文の初めの方に出てこないものは、その典型だ。読む人が主語に出会うまで、この文章が何について述べたいのかわからない。
また、段落のない文章は読みにくい。段落を立てなかったということは、書き手がどれだけの事をどのような順序で書くのか全体の見通しがないまま、行き当たりばったりで書き始めた結果である。改行のしすぎは、逆に段落なしに等しい。文脈が細切れになってしまう。一文が長すぎる文章も言わんとすることが分かりにくくなる。判決文はその典型だ。
文章には音感をもつべきである。律動間や歯切れのよさを考えるべきであろう。「ました」や「ます」が毎回続く文章は、間延びした印象になってしまう。文の最後の終わり方を変えるだけで、文章にリズムがついてくる。
また、言葉の使い方ひとつで、文章は分かりやすくも、分かりにくくもする。一例をあげれば、読み手が何の予備知識もなく
太郎は次郎のように利口ではない。
という文章を読んだ場合、次の3つの解釈がなりたつ。
1 次郎は利口で、太郎はばかだ。
2 太郎も次郎と同じくばかだ。
3 太郎も次郎も利口だが、太郎の利口さは次郎に劣る。
(ここまで考える人はいないが)
これらを言いかえればこうなる。
1 太郎は次郎と違って利口ではない。
2 太郎は次郎と同様利口でない。
3 太郎は次郎ほどには利口でない。
文章を書いたことのない人はいない。日常では手紙、仕事上の報告書、学校での作文、卒論、筆記試験と枚挙に暇がない。コツさえつかめれば、誰でも分かりやすい文章は書けるものだ。