安政 3 |
京都中京六角通で誕生。六角堂(頂法寺)に育つ |
明治 4 |
京都中学校入学、間もなく京都仏学校へ転校、レオン・デュリー夫妻の指導を受ける |
7 |
京都仏学校卒業 |
8 |
レオン・デュリーの転勤に伴い、東京勧農局で製糸・撚糸・養蚕を府命により研修 |
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京都府フランス勧業留学生となる |
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レオン・デュリー夫妻に伴われ、横浜出港、フランス留学に向かう。稲畑勝太郎・佐藤友太郎・今西直次郎も一緒に |
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マルセーユ入港、フランスに上陸 |
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マルセーユでサンシャール学塾に入学。予備学習 |
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リヨンに移動。リヨン織物学校に入学。絹織物に関するあらゆる生産技術を学ぶ |
13 |
フランス、イタリア各地で実地研修 |
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スイスのチューリッヒで絹糸紡績の研修 |
15 |
リヨン織物学校卒業 |
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日本帰国、京都に帰る |
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京都府御用掛 |
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京都府織殿長兼任 |
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農商務省御用掛兼任 |
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皇居造営のための織物の用命を受ける。その際川島甚兵衛(川島織物)・田崎草雲(帝室技芸員)と知り合う |
20 |
新設の京都織物_に移る |
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欧米織物業の視察。リヨンで織機類を購入。稲畑勝太郎・佐藤友太郎・今西直次郎ら同行 |
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レオン・デュリーに再会 |
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京都織物会社工場創業業務に没頭 |
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同社織物部技師長(稲畑勝太郎は染色部技師長、今西直次郎は撚糸部技師長、佐藤友太郎は考案(図案)部長) |
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同社不振の責任をとり退社(他の留学生も同様) |
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京都西陣川島織物工場入社、織場長。工場の近代化(ジャカード化、洋式織物化)に努める |
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第三高等中学校フランス語講師兼務 |
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同志社政法学校フランス語講師兼務 |
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新織物開発、友人と特許を取る |
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京都染工講習所嘱託商議員 |
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京都市染織学校嘱託教師 |
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川島織物退社 |
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京都市染織学校嘱託教師辞職 |
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稲畑テイと結婚 |
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栃木県工業学校長兼教諭 |
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足利町内に新居を構える。妻貞子 |
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明治三十年一府六県連合共進会委員に命ぜらる |
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渡良瀬川の洪水。鉱毒を避け、学校の移転に努力 |
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栃木県工業学校を西宮町に移す |
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足利西小学校を会場に開催された「一府六県連合共進会」で、絹織物部門で足利の業者入賞多数 |
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移転になった工業学校、「共進会」の第二会場としてにぎわいを示す |
31 |
共進会を機に発刊された『足利機業雑誌』各号に最新繊維工業技術の論文を掲載 |
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農商務省より、イタリア・フランスの絹織物産業の視察を命ぜられる。同行者は足利の磯部安次郎(流通)、岩本清三郎(生産)の二名 |
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北イタリアのコモ市、中部フランスのリヨン市を中心に各地の絹工業・絹工業教育を視察 |
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コモ市の国立セティフィチョ絹織物学校視察で、大きな影響を受ける |
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イタリア・フランス絹業視察から帰国。同行者の磯部はアメリカ経由、岩本はリヨン絹織物学校留学 |
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近代的原糸染色会社として両野染色(資)設立。近藤の出資額三千円。農商務省は輸入機械一式を貸し下げ |
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『農商務省商工局臨時報告 伊仏絹業視察報告 明治三十四年第六冊』発行される。近藤と磯部両名の執筆 |
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栃木県立工業学校(前年改称)の修業年限を四年とする |
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教育課程を大幅に改訂する。実習時間を多くし、特に「紋様実習」を倍増(十七時間)する |
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近代的原糸撚糸会社として足利模範撚糸(資)設立、農商務省は輸入機械一式を貸し下げ |
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内閣より第五回内国博覧会審査官任命さる |
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栃木県技師を兼任 |
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栃木県染織品評会審査長 |
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栃木県図案調製所を工業学校内に設置 |
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自ら所長を兼ね、業界に図案(織物意匠)を無料で提供 |
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近代的織物整理会社として、足利・桐生両産地向け両毛整織(資)設立。農商務省は輸入機械一式を貸し下げ |
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農商務省より東京勧業博覧会審査官任命さる |
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宇都宮市工芸品評会審査長 |
41 |
電化に対応 |
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佐野町開催の日本全国綿縮類共進会審査官 |
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栃木町開催の染色物織物共進会審査長 |
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栃木県染色競技会並びに第二回足利織物同業組合賃業者成績品評会審査長 |
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新本館校舎落成 |
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栃木県染織競技会兼工業学校展覧会 |
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産地の鉄製力織機導入に対応 |
大正 2 |
佐野織物同業組合主催織物資料展覧会の審査長 |
3 |
稲畑染料店機械部(東京)より織機検査の依頼 |
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文部省より実業教育の功労で賞与金を受く |
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農商務省より東京大正博覧会審査官任命さる |
4 |
関東都督府より柞蚕業に関する調査の受託 |
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柞蚕業調査のため、朝鮮・満州へ出張 |
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関東都督府民政部依頼の柞蚕糸製織試験 |
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満州産柞蚕糸について講演 |
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栃木県輸出絹織物検査所商議員 |
5 |
佐野織物同業組合賃業者成績品評会審査長 |
6 |
栃木県立工業学校長退職 |
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従五位勲六等 |
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横浜精練_顧問となり、新会社設立の仕事に当る |
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横浜撚糸織物_取締役常務・工務長 取締役専務磯部安次郎と共に夢の実現を企図。工業学校教員で近藤の教え子(一期生)白沢候郎は近藤を慕って馳せ参じる |
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私立足利盲学校設立発起人 |
7 |
近藤徳太郎寿像序幕式 |
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栃木県図案調製所、業務拡大のため足利織物同業組合に移る |
8 |
足利の織物生産額史上最高(年産八千万円) |
9 |
病気のため横浜撚糸織物_退職 |
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十一月二十一日 足利町で死去 |
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西宮町曹洞宗長林寺の墓地に葬らる |