随想舎 

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田中正造とその周辺

赤上 剛

 約二〇年前から私は田中正造の本を読み講義を聞いてきた。初心者だから次々疑問がわいた。何でも鵜呑みにせず調べた。自分の宿題への回答みたいなものだ。それを「独断検証・田中正造関連雑記」と題し『田中正造に学ぶ会会報』に毎月八年間連載してきた。本書はそこからの抜粋である。
笑い、悩み、酒、怒号、そして沈思。“亡国日本”の再生へ斃れて止まぬ田中正造。既存の通説に惑わされず、疑問を徹底した調査によって解明せんとした田中正造考究の書。死ぬまで成長し続けた人間・田中正造の姿がここにある。
 田中正造は、2013年「没後100年」を経てますます“義人”“偉人”にされてしまった。むのたけじがいうように“義人”“偉人”からは学ぶことがない。私は、“普通の人田中正造”を取り戻したい。正造は、普通の人というより俺が俺がという自意識過剰で名誉欲も強かった。欠陥もあり失敗もした。しかし正造は生起した事件から逃げなかった。真正面からぶつかり試行錯誤しながら死ぬまで成長し続けた。その過程こそ学ぶに値する。(「本書を読まれる方へ」より)

A5判/上製/448頁/定価2750円(本体2500円+税)
ISBN 978-4-88748-291-3
2014年4月26日 第1刷発行

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著者プロフィール

赤上 剛  あかがみ たけし

1941年栃木県茂木町生まれ。馬門小学校・茂木小学校(4年から)・茂木中学校・真岡高等学校・早稲田大学法学部卒業。
渡良瀬川研究会副代表
現住 埼玉県越谷市在住
主要論文
「田中正造昔話『家政の憲法』評価説への疑問」(『田中正造と足尾鉱毒事件研究』第12号、随想舎)、「田中正造と江刺県〈遠野・花輪〉」(同13号)、「直訴論の再検討」(同14号)、「『和協の詔勅』と田中正造」(同15号)、「田中正造没後100年、3・11事件三年目の課題」(同16号)、「日清戦争前後の田中正造の行動と思想」(『田中正造大学ブックレット救現』第11号、随想舎)、「安藤昌益と田中正造─鉱業開発反対論と軍備全廃論」(石渡他編『現代に生きる安藤昌益』御茶の水書房)、「『公害』と『差別』雑感」(『挑水』第5号、地域の情報を語る会)他

目 次

本書を読まれる方へ
はじめに─田中正造のあらまし
第一部 田中正造の行動と思想
 田中正造の身体検査
 「不二孝」を考える
 田中正造と幕末の尊王思想
 正造は何回投獄されたか
 大日本帝国憲法発布式への「参列」に尽力した栃木県会議長田中正造
 正造は大日本帝国憲法の内容に賛同しなかったのか
 「栃鎮」とはなんだろう
 「押出し」とは
 「保木間の誓い」美化批判
 隈板内閣を倒した真犯人は明治天皇か
 軍備全廃論「勝って冑の緒を締めよ」
 恩賜財団済生会の発足と正造の批判
 「教育勅語」と田中正造
 田中正造の変な「国家・政府観」
 正造の絶筆「何とて我れを」は、絶望の叫びか?
第二部 田中正造をめぐる人々
 田中正造と村上光雄
 江刺人脈─山田信道・佐藤昌蔵
 小笠原長清のこと
 田中正造と福澤諭吉
 森鷗村の立候補と田中正造
 森鷗村の投獄は九か年だったのか
 依田学海と森鷗村
 明治の政治家三奇人、正造・兆民と並ぶ中井弘とは
 「足尾銅山鉱毒問題を初めて論じた」という須永金三郎の記述
 不敬犯荒川高俊と田中正造
 〝穏田の行者〟飯野吉三郎と田中正造
 直訴前夜に来訪した「鈴木げん」とは誰か
 榎本武揚農商務大臣辞任の真相
 古河鉱業に天下った南挺三
 裁判になった「鉱毒文学」
 古河の幹部昆田文次郎と信濃屋宮下兼吉の内通
 田中正造と社会主義
 「谷中の戦い」の思想的影響─石川三四郎
 谷中村一坪地主運動と石川雪
 逸見猶吉と谷中廃村
 「二宮尊徳が見放した谷中村」という話
 岡田虎二郎の静坐と田中正造
 江渡狄嶺と新井奥邃・柏木義円
 雲龍寺内救現堂の字を揮毫した大木遠吉のこと
第三部 田中正造を取り巻く世界
 ハンセン病と田中正造─私達は一五〇年前の正造を超えているか
 田中正造と明治天皇の誕生日
 古河市兵衛の足尾銅山入手年
 田中正造と加波山事件
 「保安条例」で正造も皇居外三里に追放さる
 田中正造と河井重蔵
 新井奥邃・謙和舎・明治女学校・逸見斧吉・福田英子
 正造とキリスト教
 世界陸海軍全廃とブース大将
 本郷菊富士ホテル、石川啄木、古在由直、本郷中央会堂
 国交省の「谷中廃村一〇〇年イベント」の暴挙
 木下尚江、古河庭園、渋沢栄一、大野孫右衞門・東一の墓
 『会報』一〇〇号を回顧して
 夏目漱石、平民倶楽部、白仁武、東京専門学校
 勝海舟が田中正造を総理大臣に任命
 「田中霊祠」命名の由来
 梁田戦争、織田龍三郎、寿徳寺、長祐之、室田忠七
 大逆事件と田中正造
 続・大逆事件と田中正造
 渡良瀬遊水池と松本清張
 「進歩は芋を洗ふ如し」と「芋こじ」
 直訴状の最初の起草者は左部彦次郎か
 左部彦次郎の離脱
 左部彦次郎雑件
 田中正造研究に欠落していること─現在も続いている鉱毒被害