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明治維新と日光
戊辰戦争そして日光県の誕生
柴田 宜久
戊辰戦争下、日光はいかに保全されたのか。新政府が断行した神仏分離とは。徳川幕府の聖地日光をめぐる幕府と新政府の攻防を「日光叢書社家御番所日記」など膨大な文献史料を駆使してまとめあげた労作。第三回随想舎歴文研出版奨励賞。
A5判/296頁/定価3080円(本体2800円+税)
ISBN 4-88748-121-7
著者プロフィール
柴田 宜久 しばた よしひさ
1943年 日光市生まれ。
1968年 中央大学文学部史学科(国史学専攻)卒業。
2004年 栃木県庁を定年退職。
所 属 明治維新史学会、栃木県歴史文化研究会
目 次
序 徳川幕府の聖地 日光
勝道の開山伝説 14
鎌倉幕府と日光山 15
聖なる世界と世俗の狭間で 17
徳川家康と天海 20
徳川家康の遺言 23
寛永寺の創建と東照社の大造替 24
近世日光山の組織 26
輪王寺宮の創設 27
大名領に匹敵する日光領 32
日光は「御崇敬之場所」 33
日光に設置された幕府機関 34
幕末期の日光 36
第一章 幕府の倒壊と日光
大政奉還に至るまで 40
大政奉還 42
王政復古のクーデター 44
出流山での倒幕挙兵 45
鳥羽・伏見の戦い 46
徳川慶喜の大坂城脱出 46
旧幕府勢力を武力制圧へ 47
徳川家の生き残り構想 49
徳川慶喜の謹慎 51
彰義隊の結成 51
下野諸藩の動き 53
慶応四年早春の日光 53
日光奉行所の軍事力 56
旧幕府脱走兵の日光進入を阻止 57
日光奉行所による警備の強化 60
輪王寺宮、徳川慶喜の謝罪嘆願 61
会津藩の動き 62
元老中板倉勝静父子が日光へ 64
江戸城総攻撃の中止 65
あわただしい日光奉行所の動き 66
世直し勢が日光領内に進入 67
宇都宮藩が応援派兵を要請 68
宇都宮へ二五〇人の応援隊 69
政府軍、いよいよ日光へ 70
日光山の対応 71
第二章 日光の社寺の危機
江戸開城と新政府の課題 76
奥羽鎮撫総督軍と奥羽の動き 77
旧幕府抗戦派の動き 78
東叡山寛永寺の動き 79
日光を目指す大鳥軍 81
小山方面での遭遇戦 82
宇都宮城の攻防戦 84
日光奉行所の対応 86
大鳥軍の日光占拠と従軍者 87
東照宮「御神体」の動座 90
大鳥軍の苦悩 91
旧幕府の密使 松平太郎が日光へ 93
重要軍事拠点の宇都宮 95
土佐藩隊の追撃 96
斥候の悲惨な末路 98
野口村十文字の戦い 99
桜本院と安居院の嘆願 101
大鳥軍が日光を脱出 102
日光を脱出する奉行所の役人 106
吟味役山口忠兵衛の脱出 107
第三章 日光山麓の攻防
土佐藩隊が日光に進攻 110
大鳥軍負傷兵を襲撃 111
無礼な東照宮参拝 112
脱出者の帰順を促す 115
奉行所の新政府軍対応 115
戦火から守られた日光の社寺 116
彦根藩隊が日光へ進駐 118
八王子千人隊頭の悲劇 119
会津藩寛典処分嘆願の動き 120
奥羽鎮撫総督府の白河移転構想 121
奥羽列藩、同盟の動き 122
大鳥軍と会津藩隊の連合 124
会幕軍の戦略 126
その後の東叡山寛永寺の動き 127
栗原、柄倉、大桑での前哨戦 130
第一次今市宿の攻防戦 131
彦根藩隊見張所を襲撃 133
第二次今市宿の攻防戦 134
焼かれる村々と犠牲になる民衆 136
長期滞陣に疲弊する土佐藩隊 137
常陸国野口・下野北部の戦い 138
白河派兵などをめぐる対立 140
白河城の攻防戦 141
大田原城の攻防 142
第四章 新政府の下野鎮撫と奥羽越列藩同盟
行き詰まった大総督府 146
融和策に便乗する旧幕府 147
新たな日光奉行の赴任問題 148
三条実美の下向と方針転換 150
下総野鎮撫府創設と佐賀藩隊進駐 151
江戸へ引き上げる奉行所幹部 152
下総野鎮撫府の開設 153
輪王寺宮の処遇 154
上野戦争と輪王寺宮の潜行 156
彰義隊討伐と徳川家処分の発表 157
江戸の直轄支配と奥羽攻略体制 157
真岡代官山内源七郎の処刑 159
会幕軍のゲリラ活動 161
下総野鎮撫府による日光山への警告 162
下総野鎮撫府移転と下野知県事の創出 163
下野知県事役所の組織と構成 165
奥羽鎮撫総督九条道孝の仙台脱出 167
輪王寺宮公現法親王、奥羽へ潜行 167
奥羽越列藩同盟の盟主へ 169
奥羽越列藩同盟の性格 172
まぼろしの「東北朝廷」構想 173
第五章 芸州藩隊の日光進駐と軍政
芸州藩隊が日光に進駐 180
藤原口の戦い 180
疑心暗鬼の芸州藩 182
関東の直轄地の支配体制 185
芸州藩による日光軍政 186
日光山に勤皇誓詞の再提出を要求 187
日光奉行所同心を懐柔 189
奉行所同心が徳川家へ嘆願 191
徳川家が駿河府中藩を立藩 192
佐賀藩隊長深堀又太郎が襲撃される 193
大鳥圭介と第二大隊の転進 194
新政府軍、白河口へ増兵 195
会津若松進攻と東照宮「御神体」 196
船生の戦い 197
六方沢と富士見峠での小戦闘 198
栗山村野門の伝承 199
米沢藩士雲井龍雄と「討薩檄」 200
雲井龍雄と日光関係者の出会い 204
芸州藩隊会津へ出撃 205
同心小頭神山作兵衛が殺害される 206
勅使平松甲斐権介一行の横暴 207
下野から会津若松へ進攻 207
第六章 下野知県事による日光領接収
下野知県事が日光奉行所と日光領を接収 210
下野知県事の基本方針 211
同心を知県事役人に登用 213
日光山への措置 214
日光領民への措置 215
奉行所役人への訓戒 217
日光学問所を再興 218
同心隊へ出陣命令 219
東照宮と大猷院の管理機関の設置 220
奥羽・北越の戦局と同盟の崩壊 222
輪王寺宮公現法親王の帰順 224
輪王寺宮と東照宮「御神体」の南帰 225
公現法親王、伏見宮家へ復帰 226
東照宮「御神体」の安座 226
三門室が天台宗を管轄 227
明治改元と天皇の東幸 228
大総督府宮の解任と奥羽越諸藩の処分 229
下野諸藩のその後の動向 230
榎本艦隊の北上 232
榎本軍の蝦夷地占拠 233
第七章 日光県による新政
新政府の課題 236
日光県の創出 237
日光地方の課題と施策 238
日光県を担った人々 239
旧奉行所同心を日光県支配へ 241
日光学問所の県学構想 242
東照宮の処遇問題 245
東照宮が勅祭社とされる 247
比叡山の末寺となった日光山 248
雲井龍雄事件 249
口述書からみた日光地方での動き 251
日光県の対応 252
疑問の多い口述内容 253
過酷な取り調べと多数の獄死者 255
神仏分離とは 256
日光山神仏分離の基本方針 257
日光県が神仏分離を断行 259
不完全な神仏分離 262
国家神道の体制へ 265
二社一寺 267
日光県所管地の拡大 268
栃木県の誕生 268