随想舎 

座禅院昌尊の生涯

日光山の終焉と上三川 今泉家

恩田 浩孝
資料提供者・今泉 淳

 座禅院昌尊の生涯が明らかに!
 徳川家康の日光東照宮が鎮座する以前、中世の日光山は300余坊が割拠する大寺院であった。これを統括した最後の権別当・昌尊を知らずして日光は語れない。
 上三川城主 今泉家の歴代当主列伝。昌尊の実家・今泉家は宇都宮一族として勇名を馳せた。新事実を盛り込んだ力作。
 昌尊は、江戸時代初期に日光山の寺院・座禅院主を務め、15代権別当職、ならびに第52代日光山座主を兼務した高僧である。昌尊は戦国時代の上三川城主・今泉家の次男として生まれ、幼い頃に日光山へ入山した。今泉家は宇都宮家の一族で、戦国時代まで上三川城主を務めた名門である。現在の今泉家当主・今泉淳氏は伝来の位牌をもとに、これまで不明であった昌尊の戒名と没年月日を見出し、さらに今泉家墓地にあった卵塔を昌尊の墓石と結びつけた。歴史の大発見である。 (「はじめに」より)

四六判/上製/288頁/定価1980円(本体1800円+税)
ISBN 978-4-88748-312-5
2015年10月27日 第1刷発行

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著者プロフィール

恩田 浩孝  (おんだ ひろたか)

郷土史研究家。
1981年3月、栃木県鹿沼市生まれ。
1999年、栃木県立鹿沼東高等学校卒業。
2003年、白鷗大学経営学部卒業。
2011年、京都造形芸術大学通信教育部
博物館学芸員課程 修了。
栃木県歴史文化研究会会員。
栃木県の中世史を中心に研究。

目 次

第一章 座禅院昌尊(ざぜんいんしょうそん)

 一、昌尊の生い立ち
  昌尊の出自/座禅院昌淳に随従
 二、日光山の歴史   日光開山/中世日光山の御坊と御神領/豊臣秀吉による天下統一後の日光山/史料「御代々御朱印写」
 三、昌尊の青年期   史料「施入目録」内題「常行堂施入帳」/史料「御忌日講師并提婆品講師已役帳」/史料「当内堂大衆舞楽帳」/史料「御念仏所作配」1/実家・今泉家の没落
 四、昌尊、座禅院に就任   史料「徳川家康黒印状写」/史料「江戸幕府出頭人連署奉書写」/史料「両峰禅頂嶽々宿建立年数覚」/史料「御念仏所作配」2/日光を離山/史料「御念仏所作配」3/日光山と天海
 五、離山の理由と諸説
  史料「棟札(写し)」―慶長一六年 御自歌―/昌尊による災害調伏祈願/徳川幕府の大名配置転換説/鉱山を抑えられた説/日光山系に眠る鉱山/鉱山に関する伝承
 六、判明した昌尊の没年   史料「日光山常行三昧堂新造大過去帳」/昌尊の墓石と位牌/昌尊の晩年/昌尊の願い
  歴史散歩① 史料にみる同名別人の昌尊
 七、昌尊関連年表

第二章 上三川城主 今泉家

  上三川城主 今泉家について
  今泉系図集
  今泉系図『下野国誌』/今泉系図(考証後)
 一、今泉元朝(いまいずみ もととも)
  今泉家の起こり/茂原合戦の起因と影響/元朝の生年考証
  歴史散歩② 朝日観音の伝説
 二、今泉盛朝(いまいずみ もりとも)
  上三川継俊と今泉盛朝/混沌する宇都宮家/盛朝の弟・竹林淡路守の系譜
  歴史散歩③ 上三川城
 三、今泉盛泰(いまいずみ もりやす)
  幼い上三川城主を支えた一族/上三川衆に降りかかる困難
  歴史散歩④ 普門寺のお葉付き銀杏
 四、今泉盛高(いまいずみ もりたか)
  若年で上三川城主に/永正の乱で躍進する宇都宮家/巨星堕つ
  歴史散歩⑤ 瑞龍山長泉寺
 五、今泉泰高(いまいずみ やすたか)
  五月女坂合戦/宇都宮城奪還/関東争乱、北条氏康VS長尾景虎/晩年の泰高
 六、今泉泰光(いまいずみ やすあき)
  父とともに戦乱の世を生き抜く/ 大国との戦い
  歴史散歩⑥ 史料「宇都宮彌三郎舊領髙帳」に見られる横田今泉一族
 七、今泉高光(いまいずみ たかあき)
  今泉高光の生年/打ち続く戦乱/討死した今泉左京助/豊臣秀吉による天下統一/今泉但馬守の供養/
  豊臣政権下の高光の動向/「下野国屋形家并旗下家来衆之御帳」(神宮文庫蔵)/
  「下野国壇那之事」(神宮文庫蔵)/「下野国御旦那帳(抄)」(国文学研究資料館蔵)/
  宇都宮家の養子問題/上三川落城悲話
  歴史散歩⑦ 頂龍山萬松寺と城館・北ノ館
 八、今泉宗高(いまいずみ むねたか)
  転落人生から御家存続へ/興禅寺に伝わる宗高の逸話
  歴史散歩⑧ 「宇都宮高麗帰陣物語」に見える今泉一族
 九、今泉家当主 今泉淳